どうしたら

美少女になりたかった

達成感と地獄

 

 

 

地獄みたいな夜だった。昨夜のことだ。膀胱炎になってしまい頻尿でトイレから出られず、なんとその時間約6時間。空が白むまでなかなか安心して眠れずに、トイレに引きこもっていた。孤独な戦いだった。ひとりでトイレに篭りきりはつらい。このまま死んでしまうのかとうっすら思った。ひと段落ついたかなと思ったところで、ふらふらと布団に入り眠りについて、起きたらだいぶ良くなっていた。死まで覚悟した時間は夢だったかと錯覚したが、6時間便座にあてがっていた尻が痛くて現実だと思い返す。本当に地獄的だった。健康について今以上に気を使わねばと心に決めた。

 

がしかし地獄だと思う一方で、私は歴戦の勇者のような気持ちであった。6時間座っていただけなのだが、なぜか誇らしい。何かを成し遂げた気持ちでいっぱいだった。ただ膀胱炎が良くなったというだけなのに。なにが私をそのような気持ちにさせたのだろう。時間か?状態が改善に向かったせいか?ひとりで孤独に戦ったからか?はたまた尻の痛みからか?よくは分からないけどたぶんその全てだ。私は色んな人に「自分は膀胱炎と夜通し戦った末、勝った」とあけすけに吹聴したくなった。もちろん大人なので欲求はあろうとも、心に秘める。誰も他人の膀胱炎の話なぞ聞きたくないのは分かる。自分の中だけのステータスとすることにした。それは、さすがに大人であるとも自由でしょう。

 

日々に刺激がないからこのようなことで達成を感じるのかもしれないなとふと思った。達成感というものは非日常にある。山頂に辿り着いた時の感情を表す言葉でよく使われるものが達成感であることから、登山というものは非日常である。趣味が登山の方に、いいえ私には日常ですと言われてしまうかもしれないがここでいう日常というものは衣食住としてほしい。衣食住に慣れていないという人間はごく稀だと思うが、登山に慣れていない人間はそれこそ山のようにいるであろうし。私は少なくとも、登山慣れはしていない。よって私が考える達成感を得られる状況というのは非日常下において何かをやり遂げた成し遂げたそのようなことである。と思う。断言したいのはやまやまだが私も考え方が変わる可能性が大いにある。なにが言いたいかというと6時間密室に籠ることに慣れる人生は嫌だということ、そのためには膀胱炎を綺麗に治したいなということただそれだけ。あ、今思ったけど病気を治す(重度か軽度かはさておき)ということも一種の非日常下での達成感かもしれない。そう考えると達成感いろんなところに転がっている。非日常下でもないのかもしれないな。はてな