どうしたら

美少女になりたかった

ギャルとヲタクと(ヲタクの理想とする)ギャル

 

私は新しいものに飛び込む力が無い。無いというか、年々無くなってきている気がする。本を読もうと思っても、どんな装丁の、どんなタイトルの、どんなあらすじの、なんていう作者の本が面白いのかわからなくなってきていて、最終的に昔読んだ本を反芻するかのように読む。ああ、このシーンあったな。これ読んだ時こんな気持ちだったな、と、凪のような感情を抱えている。ここ最近はそんな感じなのに、図書館には恐ろしいほど本の背表紙だけがあって、何がオススメなのかすら分からず私はいつまでも好きな作家の本や一度読んだ本を再読している。昔今よりもっと本を読んでいた頃は、割と装丁だけでピンときていたりしたんだけどなあ。あの時の感覚はどこにいってしまったのだろう。これが衰えるということか。

本に限らずに、最近は冒険するのが極端に苦手になってきていて、新しい好きなものを見つけるのが難しくなってきてるのだけれど、最近「これは好きだな‥」と思えるものが増えてきたのでメモしときたいと思う

 

 

音楽

女王蜂というバンドの曲を最近よく聴いている。名前自体は結構昔から知っていて、気にもなっていたけど、なんとなく聞かず終いだった。しかし最近、昔好きだった邦楽を聴くザ・懐古厨ゾーンに入っていて、ふと思い出して改めて聴いたらかなり最高だった。音も、ボーカルの声も、歌詞も個人的にすごく好みで夜通し聴いた。薔薇園アヴ(さん)の書く歌詞は、どれもドロドロしていながらも、生気に満ちあふれている感じがする。なんとなく生活を思わせる歌詞も好き。火炎とかヴィーナスとかデスコとかワンダーキスとかをよく聴いている。我ながらあまりドロドロしてない方を聴いているなぁと思う。折り鶴とか、告げ口とか、もちろん大好きなんだけど、でも少し避けている節があって、それはなぜかというと準備をしてない時に聞くと疲れるのだ。薔薇園アヴ(さん)のインタビュー記事を読んだのだけど、折り鶴も告げ口も、狂気を孕んでいるとかよく言われるけどそういうつもりじゃなくて、現実にあるものをモチーフとして書いたつもり、というような事が書いてあった(まちがっているかもしれません)。なるほどなと思った、確かにそういった現実もどこかにあるし、それをモチーフとして作詞する事も、作詞家からしたらただそれだけのことなのだろうけど、ひとつの作品として聞いたこれらは、怨念に似た悪意をひそめている曲であると思う。あまりに生々しい作品から、リアルを感じてしまって、聞き手はそれを恐れる。自分がしたつもりの表現と、評価が乖離して、作詞家は少し困惑する。そういうやりとりはきっとどこにでもあるのだろうな〜と思った。もちろん折り鶴も告げ口も大好きなので、準備ができたらじっくり聴いて、聴いた後にはいつも すごい曲だなぁ‥ とつぶやいている。

 

 

漫画

「その着せ替え人形は恋をする」という漫画を読んだ。内容はラブコメなのだけど、すごかった‥‥。最近オタクがギャルに振り回されたり、仲良くなったりする漫画増えてると思うのだが、この漫画はギャルとオタク、どちらの要素も併せ持つ女子高生が登場する。要はオタギャルと、男だけど雛人形に魅了されて暮らす男子高校生が、ひょんなことからオタギャルの推しキャラのコスプレ衣装を作ることになる、というラブコメ漫画だった。

このギャルでもありオタクでもある女子高生の「喜多川海夢(まりん)」ちゃんがもう最高に最強なのだ。そもそも最近のギャル×オタク漫画のブームといえば、オタクに理解のなさそうなギャルが、強引に距離を詰めてきて、「なんの漫画読んでるん?」「◯◯クン、絵描けるヒトなん?見して〜」などとちょっかいを出してきてくれて、オタクがあわあわしながらも徐々に親密度を上げていくという構図がウケたと思うのだけれど、彼女こと海夢さんはそのハイブリッド的存在だ。海夢さんはギャル、スクールカーストぶっちぎりの上位でありながら、オープンなオタクである。カバンにつけている推しキャラを嘲笑いながら話しかけてきたナンパ男を容赦なく斬り捨てる。一方男子高校生の主人公は、雛人形が好きだがそれが原因で嫌な思いをした経験があり、他人に自分の好きなものを言えず壁を作り、カースト下位にいる。そんな対照的な2人が織りなすストーリーなのだが、何度も言うようにこの海夢さんがすごすぎる。強引に距離を詰めてくるギャルのテンプレート化されたキャラはそのままに、エロゲーを嗜みコスプレに憧れるオタクという要素までプラスされている。男女の溝がまるでないかのように接してくれる海夢さんは、エロゲーをオススメしてくれるし、ガーターベルトが推しキャラに似ている!と、着用してはしゃぎながら見せてくれたりもする。その無防備さ、天真爛漫さにドキッとするのだ。ア〜私もギャルに振り回されたい。でも私は漫画のギャルと違い現実のギャルはそんなに優しくないことを、今までの人生経験の中で知ってしまっている。いや完全に人によるが、少なくとも地方に住んでいる私の身近にいるギャルとヤンキーの境目のようなギャルは全然優しくない。彼女たちには無防備さ、無神経さだけがあり、トイレのスリッパでそのまま出てきた人を見るみたいな気持ちになる。だから余計に漫画の中の、優しくて天真爛漫で、無防備で距離が近くて、軽い口調でからかってきてくれる、漫画のギャルに愛しさを覚えてしまうのであろうと思う。私もギャルに振り回されたいとか思っていたが、この感情はもしかして、女友達が少ないからこその感情かもしれないなと気づいた。女友達に構って欲しいと言う感情の表れ。だとしたら悲しすぎませんか、自分。